001「時代?」11月29日
002「癒し系」12月03日
003「偶像崇拝」12月03日
004「綺麗になりたい」12月06日
005「落葉と」12月09日
006「自由を」12月18日
007「何をどうする」12月19日
008「写るものは」12月21日
009「横領」12月22日
010「日だまり」12月24日
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001「時代?」
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平日の静かな昼下がり。 受付にやって来た男性、五十代くらいだろうか。他に参拝者の姿もない。 彼は、浮かぬ顔をして、 最近の社会や政治に対する不信を、不安を、ひとしきり口にしていた 政治改革なんて口でいうほど出来るのか、教育はどうしてしまったんだ、 かつてのモラルはどこに行っちゃったんだ・・・ そして、 「今は生きる目的の見つけにくい時代だからねえ」 生きる目的の見つけにくい「時代」。 少し迷ったけれども、えい、いいや。でも、どうしようか。 「生きる目的を見つけられないのは、時代のせいじゃなくて、 あなたご自身のせいでしょう?」 ああ、言ってしまった。 自分の外側の何かに、不満の原因をなすりつけられると思ったのだろうか。 もしも、なすりつけられたら、不安をどうにか出来ると思ったのだろうか。 でも、言って良かった。その人を見くびらなくて良かった。 そのおじさん、なんとなく肩から力が抜けて、いくらか気が晴れた様子で帰って行きました。 |
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002「癒し系」
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「癒し(いやし)の〜」「癒し系」という物言いを、たまに目にするけれど、 なんとなく気色わるいぞ。なんでかな。 あれ、自分の心の傷や疲れを、 誰かにもたれかかって「おー、よちよち」って慰めてもらったり、 それとも、何かを取って付けたりして、それで和らぐのかな。 いや自分だって、そうしてもらってなんとかなるんだったら、その方が楽だけれど。 でもその程度の痛みなら、そんなに大した痛みなのかな。 「深く突っ込むなよ、考えずに気分で言ってるだけなんだからさあ」 うん、そうよ、その気分がそういう言葉になっちゃってるのね。 で、癒「される」ものなのか。 「医者が患者を治すのではなく、患者自身が治る働きを手助けするに過ぎない」 心の痛みもまた、そんな風ではないのかしらん。 「癒してほしい」と思い、いつまでも「癒やされない」とぼやく人もあれば、 自ら「癒える」人の心の中では、 自分で考え、追い詰め、 わずかづつでも、しかし確実に開けていく、魂の動きが、 深く、そして静かに進行している。 |
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003「偶像崇拝」
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アフガニスタン、タリバン。イスラム原理主義というのらしい。 (なんか、原理に「主義」って変なことばだね。) 国際的な非難を尻目に、「偶像崇拝」を否定すると主張する彼等は、バーミヤンの巨大な石仏などを爆破や発砲によって破壊した。 轟く爆音。地鳴り。辺りを覆う煙。野卑な歓声。 この手の破壊運動はタリバンに限ったことではなくて、キリスト教圏におけるイコノクラスム、中国の文化大革命を始め、時代や地域を問わず繰り返されて来たようだ。 いずれも、熱病にうかされたように狂喜しながら壊したり。 で、「壊さなきゃ」と思い、実際に壊した彼らは偶像崇拝を否定できたのだろうか? あらぁ残念でした。彼らはその考えの浅はかさによって、自分達が偶像の価値を信じている事を、心ならずもあらわにしてしまったのだ。 偶像に偶像としての価値を認めるから「残すべきだ」「壊すべきだ」という話になる。価値を信じてない人は、そもそもそんなものを信仰対象として相手にしないのである。 ただそこにあるものとして、Let it be。 彼らは躍起になって偶像を否定しようとして、裏返しの偶像崇拝をやってしまった。 太古に教えを説いて人々の幸福を願った精神に、彼らは少しでも思いを馳せた事が無かったのか。 不景気と言いつつもブランドものに血眼になり、小遣い稼ぎに売春する品性といい勝負か。 いったい、「偶像」とは「何」か。それを「崇拝する」とは「どういう」事なのか。 それにしても、この話、どっかの国の「国旗・国歌」問題と似ているところがあるとは思いませんか? |
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004「綺麗になりたい」
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「もっと綺麗なひとになりたいんだけれど、どうしたらいいかなあ?」 んな事オレに訊いたってしゃあないだろう、自分で考えな。 とは思ったけれども、訊ねる、って事は話を聴くつもりがあるのだろうし、ちょっと考えてみた。綺麗なひとかー。 いた。大学に通っていた頃、綺麗な人が。でも顔立ちなどは、そんなに派手ではない方だったか。でも、「美しい人がいた。」上品な人だった。幸せそうに見えた。 かつて「好きな言葉は?」と問われた時、彼女は、ある二つの語を挙げていた。 私は、記憶の中の彼女の表情とその言葉とを思い出しながら、返事をした。 「そうだなあ、『おいしい』と『ありがとう』をよく口にする事だね。それから、口を使わない時は、唇を閉じておくといいね。」 「そんなんで、綺麗になれるの?」 「なれるよ」 「ふ〜ん」 ・・・ 嬉しい言葉、感謝の言葉は、そういう気分の時に発せられるものである。つまり、「その」言葉は、「その」内容なのである。 ひょっとして、ふだん、「ムカつく」、「〜くらいしてくれたって」、「そのくらい当然よ!」なんてばかり言っちゃあいない?それらの言葉もまた、あなたをその感情で染めてしまう。 不満げなツラしてるあなたより、幸せそうに喜ぶあなたを、人は美しいと思うだろう。 投げかけられた刺激に反応の薄いあなたより、楽しさをきびきび見い出そうとするあなたを、綺麗と感じるだろう。 なにより、その幸福の相が、素顔としてあなたのものになった時、 冒頭のような問いは、あなたの心からずいぶん蒸発してしまっている。 |
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005「落葉と」
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秋色に色付いた境内の木々。枝から葉の落ちる頃。 サクラ、イチョウ、モミジにケヤキ。 この落葉が相当な量で、掃除をし始めると、あっという間に袋が一杯になってしまう。私が乗っかって、重い体重をかけて潰しながら詰め込んでるというのに。 いちおう、火事の心配もあって片付けてはいるけれども、落葉が降り積もっているさまは、そんなに汚いとは思わない。陽光を受けて輝くそれは、むしろ美しいとさえ思う。 ただ、実際に掃除してみると、 「きったないなあ」 本当にウンザリしてくる。といっても、汚いのは自然に積もった落葉のことではない。 たばこの吸い殻、空き缶、ペットボトル、食べ物の包み、放ったらかしの犬の糞・・ 私のいる寺の境内は24時間出入り自由で、通勤通学犬の散歩に昼休みの休憩などなど。まあ、道路や公園としての機能も果たしている。この事自体は結構だと思う。 なあんだ。 汚いのは人が持ち込んで捨てていったゴミじゃないか。 菓子の包みや弁当のパックを拾いながら、これらのモノがなんで汚らしく感じられるのかを考えてみた。 そうか。汚らしいのはその「ブツ」の汚さだけではなかったのか。 物を手に入れて、いい思いだけはせしめたいけれど、それに伴う後始末は面倒で損だ、という根性なんだ。わざわざ持ち帰って始末するより、ここに捨ててきゃ「楽だし得じゃん。」 こうやってゴミを捨てていく人は、飲み食いや遊びの時は、自腹を切るより、経費や人の財布にたかった方が「得だ」と思うのだろうし、逆にそういう事をしている他人を見て腹を立てたりもするのだろう。 とすると、ズルをしてでも得をしたい、そういう気分の人は、ズルが出来なくて得しない時は、「損したっ」と感じるという事でもある。 ありゃ?薄汚い精神は、得な事なのか?幸せなのか? 誰にとって? |
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006「自由を」
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複数の旅客機を乗っ取って行われた、ニューヨークでのアメリカ中枢部への攻撃から3ケ月ほどが経ったのだそうだ。 「だそうだ」という物言いしか出来ないのは、たんに私がアメリカに行った事がなく、世の出来事については、たまに見るテレビや新聞の中の風説や伝聞くらいでしか情報を得ていないから、というだけの話である。「狂牛病」という噂も似たようなもんである。 で、攻撃を受けた時のブッシュ大統領。 「自由は攻撃された。」 また、3ヶ月の後の式典での大統領。 「我々は自由を擁護する任務を負う。」 『自由』。 「自由」とは自由の事である。自らに由(よ)る事であり、他に由る事ではない。 他から攻撃されてしまいうる「自由」。 他から擁護されねばならない「自由」。 他の何かによって左右されるそれをまさに「不自由」と言う。この不一致。 言葉遊びと笑うか。なれば身近な話に例えてみましょう。アメリカに限った話じゃない。 美味しいものを食べようとしてあれこれ店を探す事と、 家でも余所でもともあれ美味しくものを食べるのと、 どっちを採りますか? もちろん、選ぶのはあなたの自由または不自由でぇす。 |
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007「何をどうする」
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このエセーは、専門用語抜きの法話、というつもりで、 「自分で考えよう」 とか言っていたりする訳なのだけれども、かく言う私自身がなかなかその通りに出来てない事があったりして、それをこそまさに言行不一致と名づく。 「なっさけないなあ」「オレはバカだ」 今の自分のヤな所が、いやがうえにも目について、どうしょうもなくヤな気分になる事もある。 いっとき、酒飲んで悪酔いし、そういう自己嫌悪全開の時に、その事をメールで、ある友人に送った。その友人からの返事をそのままここに転載する。 サボるつもりではない。こういう、体温の高い掛け声もあったというわけで。 「自己分析がちゃんと出来てるんだから、あとは自分がどうしたくてどう努力するか。 人は人。 自分を変えられるのは自分だけ。 まわりの人間は何も変えてはくれない。 自分で見つけて、自分を大事にして自分を応援していくしかないの。 きっと見えてくる。ごまかさずに努力すれば。 しばらく酒はやめるのが賢明と思う、私は。 がんばれ。 これがわたしのしてあげられるせいいっぱいです。 応援はいつでもするからね!」 あまりの真っ当さに、忘れていたことを、おもいだした。 |
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008「写るものは」
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ここしばらくはバタバタしてたり、寒かったりして、なかなかやれないでいるのだけれど、たまに遊びで人を写真に撮ったりする。撮って楽しい。見て楽しい。 モデルになる友人と約束をして、大抵は服装もお任せ、適当な場所でぶらぶらして、お喋りしながら撮影をする。画面には、その人の向こうやこっちに色んな物や人が写り込む。 あとで写真を見れば、モデルの他に、車、犬の散歩をする人、買い物帰り、自転車、鳥、電柱、雑草… モデルは勿論ビンゴ!だとしても、色んな脇役達がなければこの写真は成り立たない。また、すべてがそのモデルであろうとする事もできない。 一人の人間の体の中でさえそれぞれの細胞や器官や部位があるように。 これらはこれら、その瞬間々々、それぞれの役目を果たしながら、ちいさな「世界」を作っている。 「ちいさな」とはいえ、その有り様において、我々の住む「世界」とどれほどの違いがあると言うのだろう。 それぞれ、全て異なっているものが関係しあって世界、であり、 いずれもが、その流動と連続の世界の中にあるという事で、平等。 みんな違う、という、そのことによって、みんな一緒。 「世界」とは、「他者」とは、「自分である」、とは、「いったい」どういう事態なのか、いよいよもってワケがワカラなくなる。 分からない。 別らない。 解らない。 あー。 文字どおり、俺にゃワカラん。 |
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009「横領」
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先日、ある事業所を経営している知人と喋っていて、こんな話を聞いた。 そこの従業員の1人が、以前からどうも金をごまかしては、自分のフトコロに入れていたようなのだが、ひょんな事から、ついに現場を押さえてしまった、と。 へえー、横領かー。役人とかも色々やってるそうだけど、近くにもあったんだねーそういうこと。 会社の金くすねたり、公金横領したりする人は、どう「考えて」それをやっているのだろう? たんに「金が欲しいから」というのでは、特にその行動を裏付ける動機とは認められない。なぜなら金を得る手段は、当たり前の事だけど、横領に限ったことではないからである。 また、どうしようもなく、苦しくて苦しくて、仕方無しに手が出てしまったんだよぉ、のレ・ミゼラブルな犯行とも異なる。 知人の話を聞いても、金が足りないから盗った、というのではなさそうである。ニュースでやっている横領事件でもやはりそのようだ。 どうやら、与えられるものの他に、手に入れなければおさまらない。でも、余分に手に入れるために、余分に働こう、アイデアを生もう、とかいうことは思い付かない。だいいち、そんなことしたら「得したことにならないじゃないか。」 どうやらここら辺に、盗り続けて歯止めがきかなくなる要素があるのではないか。 ごまかし続ける人、にとってみれば、そのごまかしをやめる事は、損である。何らかのトラブル?で、うまくごまかしおおせなかった時は、「損させられた」事になるのである。 「こんどはちゃんと埋め合わせしなきゃ」 真っ当な心にとっては、盗みをしない生活、ピンはねをしない生活は、苦痛でも不幸でもない。 彼らにとっては、その当たり前の生活が不利益で、不満足に感じられる。 だから、やめられない。不幸の連鎖。 だれですか。 「正直者がバカを見る」なんてウソ言ってる人は。 あいや、ウソと知らないから、か。 |
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010「日だまり」
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愛する、ことは人生における幸福の、一つの相である。 どういう訳か、私達はそれがそうであることを、知っている。 与える、その感情が、 であることを、 私、と呟くその意識が、 であることを、 なぜか、私たちは、しっている。 |